いにしえの夢のなごり
懐かし寛ぎ
丹精な手仕事が、生きている
天明八年(1788)、筑後国御井郡久留米通外町(現在の久留米市)に、
小さなうぶ声とともに、新しい時代の幕が開きました。
久留米絣の創始者・井上伝の誕生です。
たぶんその才能は天が授けたものだったのでしょう。
子供の頃から伝は木綿などを織ることを好み、
12~13才頃には白木綿や縞などを盛んに織っていました。
年月を経るにしたがいその実力はますます研ぎ澄まされ、
精巧な布を織り出すように。
「いつか新奇な織物を生み出して、お国のために
そして家のためにつくしたい・・・・・・」
伝の胸には、いつしか大きな夢が育ちはじめていました。


「この白い斑点は何だろう。」
ある日、伝は衣服が何度か
水をくぐって色あせたところに、白い斑点がついているのに気づきました。
粗けずりな美しさを持ったその斑点に魅せられた伝は、
持ち前の探究心が湧きたつのを抑えることができません。
急いでその衣服を解きはなし、糸の白黒にならって白糸で
くくりました。そして、これを藍汁に染めて乾かし、
そのくくり糸をといてみたのです。
すると、どうでしょう。
これを機にのせてみると、白い斑点が数百点布面に現われ、
不思議な魅力を持った新しい織物が仕上がったのです。
この織物は所々かすれたように見えることから「加寿利」と
名づけられました。これが久留米絣のはじまりです。
久留米絣の美しさはまたたく間に評判となり、
伝が40才位の頃には門下生も3~400人にまでなりました。
そして年を追うごとに、その天稟の才能と情熱で、
久留米絣の美しさにますます磨きをかけ、
ついには全国にその名をとどろかせるようになったのです。
明治2年4月、井上伝は太く長い人生の幕を82才で閉じました。
まさに久留米絣とともに歩みつづけた人生でした。
久留米絣の工程
久留米絣は完成までに約30工程にも及ぶ作業を有します。
現在もそのほとんどは手作業で行われており、 その一つ一つの工程に熟練した経験と技を必要とします。
※現在工程の一部は機械で行われています。
緒方絣工房は昔ながらの伝統技法による藍染め、手織りにこだわり日々、絣作りに励んでいます。
1.柄つくり(図案) |
2.絵紙 |
3.経尺づくり |
4.下絵 |
5.絵糸書 |
6.経てはえ(整経) |
7.ぬきはえ |
8.糸たき |
9.さらし(漂白) |
10.のりづけ |
11.手くくり |
12.藍建 |
13.藍染め |
14.水洗 |
15.絣解き |
16.水洗 |
17.糊付・乾燥 |
18.経割(柄合せ) |
19.糊付け・乾燥 |
20.割り込み・筬*通し |
21.経巻 |
22.あぜかけ |
23.機仕掛 |
24.ぬき割 |
25.枠上げ |
26.管巻 |
27.手織り |
28.乾燥 |
29.整反 |
30.検査 |
*筬(おさ)とは、織機の付属用具の一つ